~Travel in Indochine~

インドシナ旅行の現地情報発信局

クメール文化を捨てたタイ族のラムカムヘン大王

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タイのスコータイは、クメール王朝に反旗を翻し史上初のタイ民族王国が誕生した地です。
転機は第3代国王ラムカムヘンが上座部を導入したことです。上座部仏教はインドシナ半島では同時代のバガンで隆盛を極め、復興して発信国になっていたスリランカとともにヒンドゥー教と並んで東南アジアで勢いのある宗教となっていました。
ところがバガン王朝がモンゴル帝国の攻撃を受け崩壊、上座部大国が瓦解したことで小さな島国のスリランカだけが上座部国となりつつありました。
ここでスコータイのラムカムヘン国王は突如上座部を国教と定め、スリランカと交易を開始するのです。

 

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まあ改宗するといっても、昔の日本でいう「宗旨替え」程度の認識だったのかもしれませんが、それにしてもいきなりクメール色がなくなっていきます。スコータイの博物館は観光地の規模としては展示物が豊富で秀逸ですが、やはり13世紀から14世紀にかけて突然上座部仏教一色になっていきます。
これを見るとスリランカから教義や文化の移入が起こったことが分かりますが、バガンが崩壊したことと無縁ではないのだと感じます。

 

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クメール文化を色濃く残すワット・シーサイ寺院。このあとスコータイは突然上座部文化に転換する。

 

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ところでスコータイ王朝ですが、もともとクメール王朝の一領主だった一族が独立して王朝を建国しました。この地域はかつてはタイ族とモン族のラヴォ王国があったところでクメール王朝からすると外様だったということになります。

13世紀は強大なクメール王国の勢いが衰え、縮小化がはじまる時期にもあたり、その過程で地方を中心に反乱が起こるのは時代の流れだったのでしょう。
さらには、多民族地域であるインドシナ半島を世俗的なヒンドゥー教で支配しようとする限界点に達していたと見るべきなのかもしれません。
いずれにしても、スコータイ王朝のクメール脱却は、7世紀のボロブドゥールからはじまるヒンドゥー教の東南アジアでの隆盛が終わりにさしかかる転換点となるのでした。

 

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